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Can-do チェックどう考えて使うの?-つまづきもポジティブに捉える-

自分は要領が悪いのか、一つ一つどっかに頭ぶつけながらでないと進むことができない性分だというのが頭の痛いところなんですが、ここ数年の私が抱えていた疑問が一つ解けた(現時点での)のでそれを書きたいと思います。

それはCan-do チェックです。実はどこかで使い方の説明を聞いたことがあると思うんです。私の理解力が低いのか、全然腑に落ちていなかったんですね。そんな事して何になるのと信じきれていなかったからなのでしょうか。また「まるごと」や「いろどり」をきちんと理解しきれていなかったのも多分あるんでしょう。ともかくCan-do チェック、うまく使えていなかったんです。その現時点での、自分の中での解が見つけられたので、ご紹介したいと思います。とはいえ、これでも正しくは無いのかもしれませんので、眉に唾をつけながらご覧ください。

私のこれまでのCan-do チェックの使い方

今まで各課の最後にチェックをしてもらっていました。そこにはあまり対話はありませんでした。自分はどれだと思う?と聞き、書いてもらって終わり。メモがあったらメモしてください、それぐらいです。でも、それじゃ結局生徒たちは何も書かなくなります。または書いても適当になるだけです。(そうではないと事もあると思いますが)「できた」「よくできた」をとりあえず選び、メモの所には「特になし」と言う言葉が続きます。これではきっとよくないと言う事は感覚的にわかっていました。でも、どうしたらいいのかと言う糸口は見つけられていませんでした。そして、その後に今回のオンラインコースが始まります。

このオンラインコースでは各チャプターが終わった時にCan-do チェックをするようにしました。そうしないと、各課の最後には最初のチャプターのことは忘れてしまっていると感じてましたから。(各チャプターでチェックしたのち、時間があれば各課の最後でもチェックします)このオンラインコースが始まってからも、最初は生徒は今までと同じように感覚で「できた」「よくできた」を選んでいました。このオンライン授業を公開した時は、みなさんからは、確かにこちらの方がいいというご意見をいただきました。ただ私自身は振り返りにも書いたように、まだ何か足りないと考えていました。そして、その後に「できる」または「よくできた」を選んだ理由を聞くことにしました。

どうして?と言う問いかけではなくて、「できた」を選んだ学生には「よくできた」になるためには何が足りなかった?と「よくできた」を選んだ学生には「よくできた」と自信を持って言えるポイントはどこだったなどのような質問です。生徒の一人は私自身はよくできていると思ったのに、いつも「できた」を選んでいました。でも、このように聞いてみると、頭をかきつつ「実は本当は『よくできた』かもしれない」なんて言って、そう思った理由を話し始めてくれました。自分の課題を感じる、自分がよくできたと言うところに自信を持つと言う意味で、Can-do チェックというものに少しは意味が持たせることができるようになったのではと思いました。そして、その足りないと思った部分に宿題(やってもやらなくてもいいものです。やった方がいいと気づいてもらえるように促したいです。)を出してあげたりすることも可能になりました。これはこのまま続けていく方法になると思います。

でも、一つだけ何かピースが欠けているような気がしたんです。

最後のワンピース

うっちー妹妹さんに私の授業に対する素晴らしい分析をいただきました。その中に挙げられた疑問の中に私の一つの残されたピースがあったように思います。その疑問を聞いて自分の中で新たな疑問が湧き出しました。それは毎回必ず学生が全部できるようにならなければいけないのかと言うことです。そして、自分はできないとか足りないと言う事をネガティブに捉えすぎていたのではないかと言うことです。上達の曲線はスパイラルなんて偉そうなことを書いておきながら、やっぱりどこかで階段のように一歩一歩確実に上っていくと言うマインドセットから抜けられていなかったんだなと改めて思いました。

「まるごと」「いろどり」と言う教科書は文型事項に関しては何回も同じことを練習する機会があります。(使う場面や意味は違いますが)例えば動詞の変形や形容詞の過去などは一回学んで、はい終わりということではありません。だから仮に例えば形容詞の過去形がうまくいえなかったとしても、まだその後に学ぶチャンスはあります。聞き取りに関しても、突然難しい聞き取りが出てきて、仮にその時できなかったとしても、おそらくは二、三課勉強した後にもう一回聞けばできるようになってる可能性があります。もちろん、学生の勉強するためのモチベーションを削いでしまうような大きい挫折はするべきではないと思います。でも小さいちょっと足りなかった程度のつまずきっていうのは、その時はそのまま残してもいいんじゃないかって思い始めました。

あることがうまくできなかったが、数週間後できるようになっていたら、それは進歩したと自分で感じることができますよね。逆に、そういうことでもなければ自分の進歩ってなかなか感じることできないと思うんです。特にその日に勉強したことができたといった短いスパンでの達成感や、一年二年勉強したら話せるようになっていたといった長いスパンでの達成感は得やすいと思いますが、その間に位置するところでの達成感というのは、このようなことがなければなかなか得られないように思います。

それから宿題にも身が入ると思います。出さなければならない宿題はあまり提出させてはいないんですが、触れる機会が多ければ多いほどは良いわけで、自分で課題意識を持った後に何かに取り組むっていうのは宿題と言うよりも自律学習的なものでしょう。もちろんやらなくても叱りません。どこかでやり直したときに「あーあそこで宿題やっとけばよかったな」って思ってもらえる仕掛けはこっそりしたいと思いますが。

ちょっとわかりにくくなってしまったので自分が感じたことをまとめると以下のとおりです

  1. 各Can-do チェックはそれが終わったときにチェックした方がいい
  2. チェックの際はできるだけ、学習者が考えるための問いかけを
  3. そこから宿題を出したり、その後リベンジの機会を作ったりする
  4. 具体的な例を挙げて褒めてあげる事も、忘れない
  5. その時にできないということは、必ずしもネガティブなことだけではない

うっちー妹妹さんを始めたくさんの人のおかげでちょっとだけ私の授業はマシになったような気がします。本当にありがとうございます。

追記1

これを書きながら、今後はどうするかというのをイメージすると、いつもきちんと書いてもらうのは面倒だし時間がかかるから、同じような問いかけをして、チェックボックスに書いていってもらいます。そして、よくできたという部分は記述で、先生も時々書き込むという風にしようかなと思っています。これは、このブログ記事を書いている時に浮かんできたことです。最近こういうのが多いですよね。人との繋がりで得られたヒントを思索しつつ整理して、また新たしいアイディアを得る。こういう学び方もあるのだと再認識しました。

追記2

このブログの記事書いているときにこのようなツイートを見つけました。本当にそうだなと思いました。

追記3

たまたまこの原稿を書いているときに参加したシンポジウムで研修生がCan-doを利用した授業の発表をしていた。ので、、つい聞いてしまいました、Can-do チェックについて。本当にしっかりとしたお答えでびっくり。船底のフジツボでとろとろとしか進めないおっさんなんかより、若い人の方がすいーっと先に進んでしまうんだろうなと改めて感じたわけです。とっとと要らないフジツボは削り落としていかないと(^^;;座礁してしまいそうだ。。。

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振り返り日本語教育
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