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なかむら先生の「クラス開きのあれこれ」を読んで

他の人の授業やブログを軽く見るのではなくて、じっと考えながら観察してみることで見えてくることがあるというのは、最近気がついたことです。このなかむらせんせいの記事もパッと読んだときは「そうだよね」で終わったのですが、よく目を凝らして読み直してみると色々なことが見えてきました。(ような気がしました)的外れ、もしくはトンチンカンな見方かもしれないのですが、走り書きを書いてみました。このなかむら先生の記事を読んでから、読むことをおすすめします。

Just a moment...

「①アイスブレークのための自己紹介」を読んで

アイスブレイクのための自己紹介から。単なる自己紹介ではなく何か一つお題を決めて、それを話してもらうと言う話だけど、単なる自分の持っている認識やファクトを伝え合うものではなくて、一人一人の学生がある物事をどう見るのかとか、実際にありえないことに対してどのように反応し、どのような切り口で話してくるのか、またはこのようなリクエストに対してどのような態度で対応するのかと言うのを教師と学生の間だけではなくて学生の間でも認識できるようにするための場ということなのかな。
きっと私たちは何気ない一言や何気ない態度から相手のことを知ろうとしてると思うんだけれども、よくある自己紹介ではなく、それらのことをより考えられるような質問と、そのやりとりから生まれる雰囲気に何か鍵があるような気がする。

「②授業の概要」を読んで

次は授業の担当者、教科書の紹介などともに、学校で学ぶことについて考えてもらうと言う事で、学ぶ事と勉強することの違いについて考えてもらうそうです。うまくつながっているよね。その前段階で何でもない自己紹介をしていれば、突然このような難しい質問をされても頭動かないと思うし、この前の段階で何かしら頭を動かすアクティビティがあったからこそ、これにうまくつながるんじゃないのかな。そして今この学ぶことと勉強することの違いについてと言うのは、この後に話すことであるご自身のビリーフにもつながってくるんだろうね。

「③クラスのルール決め」を読んで

これに関しては自分もするからわかるかなと思ってると、そこによく落とし穴があるので注意深く見てみる。ちなみにルールのことを考えてもらいたい上、たまたまレベル的に「なければならない」とか出してもいいクラスだった時はこれを一番最初のタスクに持ってきたことあるんだけどね。それはともかく、これで大切なの教師との共通認識を作ると言う事、それから分かっていることとすることを近づけるとかだよね。やっぱり自分で言わせることで言ったことに対する責任感を持たせるっていうのは私もするし、後それを他の人に聞かせることによって、より守らなければいけないと言う意識も芽生えることもあるしね。

「④教師の責任⑤学生の責任」を読んで

ここでは私もちょっとわかる部分があるのは、教師と学生、役割は違うけれども上下の関係ではないと言うことを学習者に感じてもらうっていうのがまず一つあると思う。中には特に先生は上から何かさせる人という意識を持つ学生や、反対に頼めばなにかしてくれるサービス業の人のように認識する学生がいるように思う。教師がどうあるべきかとか生徒に何を望んでいるかと言うことをきちんと説明しなければ、学生は何もしてくれない先生だって思ってしまうだろうし、そこに信頼関係は生まれない。だからといって何もしないわけでもないし、協力者としての立場を相手に表明する。そのバランスなんだろうなぁ。

最後に

これだけ書いても絶対わかってない部分ってあるんですよ。先生は最初に「上澄」という言葉を挙げられていますが、私が最初にこれを見てわかったって思ったのは、きっとその上澄みだけなんですよね。で、今私が書いたのは自分の経験とか学んできたものを使って必死に考えてわかったことなんです。でも絶対わかってないことがある。きっとそれはこれから勉強することや、授業の前の準備や授業中、または授業が終わった後の振り返りを積み重ねていく事でわかっていくのかもしれない。もっとちゃんと準備しなきゃって改めて思いました。

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振り返り日本語教育
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