翻訳 translation

日本の英語教育に関する記事読んで管巻いてます。

さて、思いついたことを遠慮なくベラベラしゃべり記すのがこちらのブログです。とはいえ今回のテーマはどうしようかなぁ。。これ、ラジオで話したほうがよさげなテーマなんだけど、まあいいでしょ。日本の英語教育について書かれた文章を読んでというのがテーマです。はっきり言って飲み屋で管巻いてる親父と同じなので、皆さん心の準備を。

中等教育の英語教育でコミュニケーションを学ぶ必要がない?

大学の試験で四技能を図るべきか否かと言う話で時々会話なんてできなくてもいい的な発言をされる大学の先生がいるんですね。正しいアクセント、文法、ライティングを学ぶ、そして会話やコミュニケーションは大学入学以降に勉強すればいいと言うお話です。大学の先生がそのような学生を求めてて、高校生がその大学に入るためにそのように学んでいくというだけの構図であれば、その考えは間違いではないのかもしれません。でも義務教育としてそれは正しいのでしょうか。

義務教育で学ぶ科目は、すべてその科目の学力向上を目指すだけではなく、一つ一つにそれ以外の、その科目を学ぶ理由があるんですよね、確か。つまり義務教育で学ぶ科目は、子どもたちが大人になってから生きていくための必要な知識や技能が身につけられる科目であるのと同時に、その国の公民として必要なセンスを身につける事ができる科目でなければならないっていったふうに。(どっかにそんなことが書いてあったような気がします。)
これは私の直感(私は直感でよく物を言います)なんですけど、数学は普遍的なものから論理的にものを考える力などを、社会はマクロ的な観点を手に入れたり、人などの行動を過去の経験から論理的に学んだりする能力などを、国語は様々な表現能力を身につけたり自分の内面を理解したりする力などを学ぶことができると考えています。これらは子どもたちが大人になってから必要な能力ですし、一人の社会構成員として社会を良くするために得ることができたほうが望ましいセンスだと思います。

英語はなぜ義務教育で学ばなければならない?

では、英語は何でしょうか。この現在の国際社会において文化や背景が違う人たちのことを知り、コミニケーションをとることで、批判的な思考や自分と違う人達を受け入れる力を学ぶ必要があると思います。それが英語というか第二言語の習得を通して学ぶ必要があることだと私は考えます。
では、ある人はそれらをコミニケーションなどしなくても学ぶことができると言うかもしれません。確かに学ぶことができる人はいるかもしれませんが、それはほんの一部の人だと思います。それに実感を伴った時に学べたものっていうのは非常に大きいと思うんですよね。ものを聞いたり読んだりしただけで、その実感を手に入れられる人というのもいるかもしれません。でも、そんな人はそれほど多くないと思います。
外国人が話すことを聞いていればいい、もしくは日本にいる外国人と話せばいいと言う人もいるかもしれません。でも、外国にいる外国人が話すことから受け入れる情報というのは知識として受け入れられるでしょうから、実感はなかなか伴いません。日本で日本語を使って海外の人とつながり何かを学ぶ、それも素晴らしいことだと思います。そういう機会もどんどん増やしてほしいです。ただ、日本で日本語を使っていると言う時点で、既に相手の人たちが日本に住んでいる日本人の近くに立とうとしているわけです。学生たちが英語を使って日本語母語話者以外の人と話をした時、その学生は自分が元いた日本語を話す日本人と言う位置から一歩踏み出しています。英語を話す日本人という位置にです。それらの行動を積み重ねることによって、日本人として日本語を話す自分やその周囲を振り返ることができるのではないでしょうか。そうすれば何が得られますか。批判的思想をすることができるセンスをより磨くことができると思います。海外に行って、または外国人がたくさん住むところでは受け入れてもらっている自分というものを感じることができるかもしれません。それらはコミュニケーションなしには学び取ることは難しいのではないでしょうか。なのに、中等教育の英語教育でコミニケーション能力を学ぶ必要がないと簡単に切り捨ててしまう人の考えを私は全く理解できません。そういうものを目指すのであれば英語は義務教育の中になくてもいいと言ったら言いすぎでしょうか。

大学のセンセイが語る中等教育

大学には中等教育に情熱をもち、絶えず調査研究などを行っている先生や、大学で中等教育を研究した後、その活躍の場を中等教育に移し実践を始めた先生がいると言う話を聞いたことがあります。そんな素晴らしい先生もいれば、中等教育とあまり接点を持たない上、大学のセンセイと言う立場から中等教育を見ていると言う先生もいらっしゃるような気がします。それを感じたのはある記事を見たことです。そこではその先生はこうおっしゃってます。

学生はいろいろ学びをしていいですよ。教師はそれを阻害すべきではないし、学校の勉強に縛る必要は無い。

まあ確かにそのとおりです。でも、それが自分でできる学生が一体、どのぐらいいるのでしょうか。正直みんながそれができたら、学校いりませんよ。様々な学び方があり、それができる子に対しては、もちろんそれを応援します。それができない生徒には、ひたすら文法と単語を教えるんですか?それができない子にはいろんな学ぶための方法を提示したいですし、生徒が自分の良さを見つけ学びとつなげる手助けをしたいです。探究心が強くて学習スキルが高い生徒がすべてなわけでは無いのですから。(もちろん状況次第で生徒はそれらを伸ばすことができますし、自分のクラスで生徒がその面を伸ばしていってほしいと考えています)

この先生だけではなく素晴らしい大学で非常に優秀な先生が教育のことを語るとき時々言いたくなることがあります。それはあなたの学生ならそうかもしれない。でもあなたの学校にいるような学生以外にも様々な生徒がいますよと言うことを。一人一人の生徒はスタート地点や状況が違います。それをまるでみんなできることかのようにおっしゃる先生がいらっしゃいます。

もちろん、この先生フォローしてないんですが、時々その記事が入ってくるんですよね、ウォールに。できたらこの先生の名前、NGワードにしたい位なんです。この先生の記事を目にするとなんだかなーって思っちゃうので。でも、非常に厄介な理由でNGワードにできません。まぁいいんですけどね。

で、はっきり言ってこの文章は愚痴です。私はその人のことあまり知りませんし、たくさんあるその先生の文章のうち、たまたま私がモヤモヤするような文章を私が運悪く目にしてしまったのかもしれません。(まあ、その時点で縁がないとも言えますが)そして、いい大学で業績を残されている先生なので専門のことについては素晴らしい先生なのでしょう。でもね、、、まあいいです。


じゃ親父、おあいそ。

雑感
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