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生徒一人一人のストーリーに寄り添った教室を

私のクラス

私が働いている学校の部門は中学高校の六年一貫校で日本語は第二外国語、中学校3年生と高校1年生が1週間100分、もしくは150分の授業を履修することができます。各クラスの生徒は大体5人から15人ぐらいまで。モチベーション、学習背景もバラバラですが全く勉強したことない生徒と、勉強したことがある生徒のクラスは分けています。日本語の教師は私一人、他の先生とカリキュラムの相談などをする事はありません。そういう意味では、寂しくはありますが、非常に自由にわがままにカリキュラムや方針を決めることができます。

さて、そんな中で私は以前こちらでも書いた通り、生徒と話し合いながら授業の計画を進めます。とは言え、完全に最初から話しながら進めるというのは無理がありますよね。なので私がある程度生徒のレベルに合わせた活動や課題を選択肢として挙げてその中から選んでもらう、もしくはそれらの選択肢を生徒にアレンジしてもらって行うという形が一番多いです。以前公開した日本語クラスの作品集もその時に見せています。

また、もし特に何もしたくないという意見が多ければ教科書通りに進めると言う形も選択肢として残しています。今の所その選択肢を選んだクラスはありませんでしたけどね。様々な活動や何かを作る単元でも教科書の内容と関連してるものがあるので、生徒があるイベントや制作物作成を選んだとしても教科書を使って行うことがあります。

生徒の一人一人に、クラスの一つ一つにストーリーがある

そんなことをしているうちに思ったことが一つあります。そのクラスのひとつひとつにストーリーがある、生徒の一人一人に何かしらのストーリーがあるということです。もちろん教師が生徒の一人一人を成長させようと思って成長させるなんてこと、できるわけありません。ですが、生徒の成長に関与することができます。私のクラスで例を挙げれば、去年日本旅行の計画をして学校の旅行と言うことを忘れてしまい素晴らしい計画ではあるけれども学校側が喜ばない日本研修旅行の計画をしてしまったグループがあります。そこでの反省はメタ認知が足りていない、発表する相手は誰なのか、その相手は何を希望しているのかまで深くまで考えていなかったと言うのが一番大きい問題でした。その挫折で生徒たちは成長したはずです。なので、そのメタ認知、今回はルールを考えると言う方法でリベンジさせてあげたいと思いました。もちろん取り掛かる前に前の失敗を思いおこしてもらい、そこから自分がどう考えが変わったのか、どう成長したのかってのを見せてくださいって言う形で促しました。結果は素晴らしい発表を見せてくれました。

それ以外では、絶対教科書を勉強したくないという我が強い生徒たちだけのクラスがありました。授業を受けさせようとしても寝てしまうので、相談したのち、アニメのアフレコなどでシャドーイングなどを練習するという方法でクラスを進めて行きました。(それはそれでアフレコが上手にはなったみたいです。)その後、彼らの中で何かをきっかけに、もっときちんと学ばなければと意識が変化したようで次の学期はシャドーイングを元に練習する教科書で授業を進めていき、思った以上の上達を見せてくれました。彼らが書いた作文を他の科目の先生に見せたところ、こんなに真面目に書いているなんてと驚いていました。これもある意味一つのストーリーと言えますよね。

前に何かがあって、今がある

単純に日本語の上達度などだけではなく、本当に様々なことが授業に影響しています。ずっと文法の授業を受け続け日本語を応用したりする授業を受けてこなかった学生のなかには、会話の授業で習った日本語を表現する楽しさに目覚め、熱心に練習しあっという間に上達する人もいるでしょう。また座学を受ける時間があまりに長かったため日本語に対する情熱を失ってしまったなんていう人がたくさんいるクラスもありました。それ以外には学ぶためのスキルというのが確立していて、日本語を学んだことないのにあっという間に習得してしまった、逆にそれがなくてなかなか上達しなかったなんていうのもあります。前の年にグループワークでいざこざがあり、グループワークに否定的なクラス(その氷を溶かすのも先生の仕事ですが)逆に以前の成功体験からグループワークをしたがるクラスなんていうのもありました。

もちろん、自分が担当するより前の時点でのクラスの雰囲気や学生たちのことを知るのは難しいです。(引き継ぎがしっかりしていて、書類を見れば生徒一人一人がイメージできるという学校もあるでしょう)でも、少なくとも自分が一年間、もしくは二年間続けて担当することができれば、前学期や前の年の様子を踏まえて考えることができます。それを私は無意識下で、またはぼんやりしたイメージで考えていました。今はその単元が何を生徒にもたらしたのか、何をもたらさなかったのか、そのイベントで生徒のどの部分が変わったのか、変わらなかったのか、考えるようにしています。

生徒のストーリーに寄り添うという役割

前に何があって、その後に何があって、その先に何かが続く、そして生徒たちはその結果どうなるかわかりません。同じ失敗をするかもしれないし、うまくいくかもしれません。でも生徒たちはそうやって自分たちの物語を紡いでいくのだと思います。日本語のクラス、日本語学習だって彼らの物語の中での一つの章なのでしょう。そして教師はそのストーリーの中のモブキャラとして生徒たちのストーリーを支えていく。そんな形でもいいんじゃないかなと近頃はよく思います。

皆さんはどう思われますか?

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ご支援いただけると様々なICTによる実験が捗ったり、生徒たちのお菓子が増えたりします。😃

日本語教育
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