日本語教師は外国語を少なくとも一つは習得するべきかという意見を見て
前回は日本語教師は外国語を勉強するべきかという発言を見て思ったことを書きました。今回は日本語教師は外国語を少なくとも一つは習得するべきかという発言を見て思ったことを書きます*1。気軽に呼んでください。
習得しておくといいことだけなのだろうか*2。
ツイッターの他の皆さんの意見を聞くと様々です。「中国にいて何年も経つのに中国語話せない奴に日本語習っていて学生は安心できるんだろうか」と思い言葉を習得したという話は教師が危機感を持ち向上心があることを示す非常に素晴らしい話だと思います*3。でも実はそんな考え方のできる先生に習っていた学生はそれほど心配していなかったのではとも思います。
ある言葉を習得した教師(私)の落とし穴
また、自分の恥を話さなければならないのは辛いのですが*4、失敗談を書きます。私は以前は台湾の学校などで教えている時、自分の台湾での語学の学習過程、いわば成功体験からコミュイカティブアプローチでタスクをたくさんこなすという練習方法をよく取りました。正直文法翻訳法などで教えている他の先生のクラスなんかより自分のクラスのほうが効果があるのだから、全部自分で教えたいぐらいだなどど、今から思えばかなり傲慢で天狗になっていた時期も少々ですがありました。*5
その後、いろいろあって今の学校に来て、一週間に100分だけという非常に短いですが、自分一人で教えられるという環境が得られました。その後、同じような方法で続けてどんどん上達する学生も出てきました。ただ2年もすると、今まで見えていなかったものも見えてきます。2年たってあまり伸びていない学生もいたのです。
習い方は一つではないし教え方も一つではない
その学生は必ずしも怠ける学生でも学習する力が弱い学生でもなく、このことは私を非常に混乱させました。ただ気がついたのです。結局私も自分の成功体験をもとに自分に似たタイプの学生を伸ばしただけで、自分とタイプの違う学生へのケアが十分ではなかったことを。なんら文法翻訳法で教えている先生となんら違いはないと。
その後はできるだけ学生のタイプを見ながら、宿題を出したり、アドバイスを出したりして、違いを出そうと努力しています。
自分の語学習得は一つの例にすぎない
教師の能力を上げていけば、自分の成功体験による方法論で全てをカバーできると勘違いしていた時期もありました。でも今では自分の成功体験は一つの例であって、100人の学生がいれば100の理解があり、学びがあると思っています。もちろんクラスの中には同じタイプや近いタイプの学生もいて自分の成功体験をもとにした指導で成功する学生もいると思います。でもそれで全てカバーできるとは考えていません。
最後に
こんな間違いをおかすのは私を含め少数の人で、皆さんは私のようなミスをしないと思います。また日本語教師が外国語を習得するメリットもたくさんあると思います。ただ私は教師の外国語習得の成功体験が教師を縛ってしまう”こともある”ということを危惧しますし、「日本語教師は外国語を習得するべきだ」とは思いません。
私のこのような意見に「結局あなたが教えるのが下手なだけ」とか「一つも外国語習得に成功していない教師をどうやって信頼するのか」などの意見もあると思います。私が気づいていない点もあるかと思います。皆さんの意見をお聞きできるのが、私の成長につながると思いますし、できるだけ返答したいと思います。どうぞよろしくお願いします。
*1 @OMIさん指摘ありがとうございました。
*2 海外で教える際にはある程度、その現地の言葉がわかったほうがおもしろいです。買い物したり現地の方と交流したりわからないより、わかったほうが当然ですがおもしろいと思います。子供なんかは教師が不自由な現地の言葉を話して意思疎通を図ると面白がったりひどい時には見下したりするので十分のレベルではない時は逆に使わないほうがよかったりしますが、一クラス50人とかだとやはり現地の言葉がわかったほうがいいです。またフリーの教師として働く場合は言葉がわからないとかなり苦しいと思います。
*4 関行太郎先生ありがとうございました。
*5 失敗談ばかり書いているので、いつか教師の資格なしと叱られるのではといつもビクビクしています。
*6 本当にとんでもないやつです( ; ; )どうぞお許しください。
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