翻訳 translation

上から目線とかマウントをとるとかの話を聞いて思い出したこと

注:この記事は個人の感想であり、普遍性を示すものではありません。

以前こんなことがありました。

あるひと
あるひと

ジャッキーさんのお子さん、全然宿題やってこないんですよ。困ります。

ジャッキー
ジャッキー

ああ、そうなんですか。ほんとに困りますね。

あるひと
あるひと

は?

以前どこかでこんな会話がありました。この時、気がついたことが二つあります。
人は知らず知らずのうちにマウントをとろうとしたり、上から目線で物事を話そうとしたりするということ。もう一つは上から目線と感じる、マウントをとられたと感じるのは、その人の受け取り方次第だと言うこと。

おそらく、最初に私にこういった人は私が「すみません、きちんと子供に宿題させますから」と言うのを期待していたんじゃないだろうかと思うんです。一般的にそう答える人も多いし、私の返答を聞いた時の表情からもそんな感じがするんです(私の主観だけど)。別に言っている本人は悪気を持ってるわけじゃないし、マウントをとろうとしているわけでもない、今までも普通にそういう会話があったんだと思います。ただ私はそういう価値観じゃなかったし、子供は一個人として宿題をしないと言う事を選んでいるわけだからなと思ってしまう嫌な(ある人から見れば)親なのです。もし約束して破ったということを注意したいのなら、私にいってどうするの?とも思いますし、勉強についていけませんから、ご両親の手伝いが必要ですっていうことであれば、もちろん「わかりました」って言いますよ。でも「宿題やってきませんでした」って言われても、「ああ、そうですか」としか言いようないし、子供が宿題やってこなかった=親が手伝う、親が管理するって言う考えにはつながらないです、私の場合は。

で、もしそこで私が子供にやらせなきゃ申し訳ないって言って謝ってたら、マウントをとられたとは感じないかもしれないけれども、上下の関係がはっきり出てしまう感じがするんですよ。子供がちゃんと管理できない親VS先生みたいな。でも、そうはならなかったんですけどね。なぜなら私は相手が期待した反応を示さなかったから。

それが全てだと私は思ってます。誰かが何かを発言していて、話してる本人は合理的な発言をしていると思っている(実際はどうか、ともかくとして)。でも、それを聞いて痛いと感じる人は、上から目線でものを言われているとか、マウントを取りに来ていると感じると思うんですね。では、どうして痛いと思うのか、それは相手が自分を攻撃してきていると思うからです。自分をその位置からちょっとずらして、もう少し違う位置から見てみると、違う見方が見えてくると思うのです。
(ほら人って痛いところをつかれたときほど怒るじゃないですか。でも見当違いのこと言われてもあんまり怒らないですよね。これは悪い例かな)
それから分かっているけど、仕方がないじゃんという怒り、苛立ちもわかります。そんな時はできるだけ頑張りましょう。環境を変えるために、自分の周りのことをよくするために。何かを発言している人は、そうやっている人に対して向けられてはいないと思います。その上の人に向けられていると考えましょう。

また、ぼやけた話をしてしまいました。でも、誰もが自分の心を傷つけずに、いろんな状況を、少しづつでもいいから前進できるような心持ちで毎日を過ごせるようになったらいいなと思うのです。

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振り返り雑感
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