さて、私たちは先週この学校での初めての試み、第二外国語歌唱コンテストというイベントを行いました。学生たちは素晴らしいパフォーマンスを見せてくれて、本当に良かったのですが、その開催するまでの準備期間に色々な気づきがあったので、ここに残しておきたいと思います。
ふりがなコンテストのあと振り返り
ふりがなコンテストを開いた後に気がついたことの一つが、わりと盛り上がってるのは勉強ができる学生に偏っているということでした。普段の勉強をそれほど真剣にしないタイプの子でも、一生懸命取り組んでいた子がいたことは確かです。ただ全体的に見てみると、普段真面目に勉強するタイプの学生の方が一生懸命取り組んでいました。それを見て感じたのは、これはこれでいい、でもこれだけだと不十分。違うタイプの学生が、もっと盛り上がれるようなイベントを開催しなければというのが次の目標になりました。
そんな時に他の外国語の先生が歌唱コンテストをしたいと言い始めたんです。喜んで乗るべきだったと思うんですが、実はそれほど乗り気ではありませんでした。それは歌と歌うとなると恥ずかしがってしまう学生がたくさん出て、あまり盛り上がらないじゃないかと思ったことでした。
自分の苦手なものから無意識のうちに距離を取りたがる
私自身は童謡など短い曲で簡単に練習して終わらせるグループがたくさん出てくると思っていました。でも結果、学生は自分たちの好きな曲の中から相談して一曲選び、休みの日も集まって準備するぐらいの熱の入れようでした。楽器を割り当てて練習する学生や、新たにパフォーマンスも考える学生もいました。なかにはプロジェクターで写す映像までも作るグループまでありました。
では、なぜ私は学生たちが盛り上がらないと思ったんでしょう。きっと私がこのようなチャンスがあっても盛り上がれない人だったからじゃないのかなと思んです。自分もつまらないんだから、きっと他の人もつまらないだろうという非常に主観的な考え方ですね。そうならないようには気をつけていたはずなんですけどね。気づかないうちにそういう罠にはまっていることがある、このことに気づけたのは、私にとっていい経験になりました。
やる気を削がずに
もし日本語のクラスで歌を歌うなどの活動を行う際、発音だけではなくて意味だったり文型だったりを教えてしまう事って結構あるような気がするんです、せっかく日本語の歌を歌うのだからと。でもそうなるとやっぱり授業みたいになってしまうので、学生のやる気を削いでしまうのではと言うことが気になりました。結局今回は途中で口を挟まずに学生たちにネットで調べてもらうことにしました。
「ただし楽器を使うこと、パフォーマンスをする上でも歌詞を知るのには意味があるから、一人一人きちっと歌詞の意味がわかる、読み上げられるようになる必要はある、そして私はそれをチェックしたい」と。あまり勉強したがらないクラスでも、その言葉はすんなり受け入れたというのが私には印象的でした。
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