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楽しい学びって必要とか、考えるとは?とか(バイクの上で考えた)

学び

ちょっと今日はいつもと違った感じで、ブログを書きたいと思います。思ったことを徒然と書いているって感じで。なので適当につながっていきますし、突っ込まれどころ満載の文章にはなっています。おかしなところあったら”指摘”してくださいね。

学びに楽しさは必要?

先日知人にある1つのことを投げかけられた。学びと言うのは必ずしも楽しくなくても良いのではないかと言う疑問だ。そしてその知人はこう付け加えた。私の授業は楽しくなかったですが、みんな一生懸命勉強したし良い大学にも入りました。そこにはあまり楽しさは存在しなかったと思います。それに対し私はこう答えた。きっと学生たちはあなたのような一生懸命な先生の期待に応えようと懸命に学んでいったと思いますし、学びにおいて楽しさと言うのは必ず必要だというつもりはありません。ただし子供たちが将来学び続けていく上でどんなことが学びの動機になると考えてみると、例えば誰かに背を押されて勉強するしてきた学生は将来誰かに押されなければ勉強できなくなってしまうし、誰かにご褒美を準備してもらって勉強してきた人はご褒美がなければ勉強しなくなってしまう。これらのどれかに偏ってしまえば、将来社会人となった時もしかしたら学びを続けていくのは難しいのかもしれないし、苦しみ続けなければならない。そう考えてみると社会人になっても学びを続けていく1番大きい原動力になるのは楽しさじゃないのかなと私は思いますと言う話をした。

学びの楽しさってなんだろう?

それで今馬上ならぬバイクの上で、さてじゃあこの楽しさってのは一体どこから来てるのかと考えた。それらは好奇心だったり知識欲だったり単純に好きだと言うものが大きかったりするのではないかと思う。じゃあ子供たちがこれらをどうやって見つけてくるのかと考えたとき大きな障害となるものがあると思う。それは何かと言うと子供たちに消費させようとするものなのではないのかなぁと最近時々思う。あ、ちがうか。必ずしも消費させようとしているわけではないのか、ただそれらのものは子供たちを容易に単に受け身的に消費する人へと誘ってしまうような気がする。アニメだったり漫画だったりゲームがそれらのものに含まれるかな。これらの子供たちを引き寄せる力は本当にすごい。ただ、そこからどのように学びにつなげていくのか、もしくはその学生にとってそこから学びにつながらないのか、その学生にとって単なる娯楽で終わってしまうものなのかというのはよく見極めなければならない課題だな。

アニメを見せるのか否か

アニメで日本語が上手になりました、あまり勉強しませんでしたがアニメを一生懸命見て日本語上手になりました。確かにそういう人はほんとにたくさんいる。でも実際ほとんどの人がそのアニメを消費するだけ、消費するだけと言っては失礼かもしれないが、単純に娯楽であまり学びには繋がっていない人がほとんどで、ゲームも同様。
だから私はもうアニメは授業中に見せない(見せてみたことがるんだなこれが(^^;;)、もしくはその中の1つにフォーカスをして何かしらの疑問を感じ、それに対して答えが出せるような課題に対してしか許可をしないと思う。そしてそれらを探すのは家でしてきてくださいと。

考えるってなんだろう

今日はここまでオートバイでぼーっとして考えていて1つのことが思いついた。考えるってなんだろうってこと。考えるってきっと何かの疑問や何かの不満に対する答えを自分の頭の中で対話して、探していくことなんだろうな。そして外来からの刺激、他の人の話、他の人と話し合う、本を見る、テレビを見ると言うこれらの刺激をなくしては、きっと私の頭の中ではいろいろな対話が堂々巡りになってしまう。だからこそコミニケーションやインプットが必要だということ。またインプットに関しても、この考えると言うことで、いろんなことを言語化していき、さらに根源的な答えが見つけられるように頭の中で対話していくっていうのがきっと考えるということなんだろうなと改めて実感した。

ちなみにこれおそらくバイクに乗っている10分間でぼうっと考えついたことで、これ多分こうやって残しておかなかったら30分後には消えてなくなっているだろうなぁ。そういう意味で考えを言葉として残しておくというのは大切なんだなと言うのも改めて感じた。以上です。

もし、ここまで読んでくれた方がいらっしゃったら、ほんとに嬉しいです。ボケッを頭の中で渦巻いていたことを言葉に出してみて、それが簡単に文章として落とせる音声入力万歳ですね。

 

学び雑感
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