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先生ってツール、便利だよね -「ICT教育って何なのさ」4

ICT

皆さんは教師を授業中に使える一つのツール「ドーグ」として考えたことがありますか?

複数のレベルの学生が一つのクラスにいた時の気づき

私の所属してる部門は小さい部門で、それも転校生が多いところなので、一つのクラスに二つのレベルの学生がいるという事は以前は結構よくあることでした。ある年、あまりやる気がない生徒がたくさん入ってきて、うまく授業が進められない学期がありました。新しい生徒はやる気があまりない上に、すでに半年勉強している生徒にはついていくことができません。ついには授業中におしゃべりや他の生徒にちょっかいを出すようになってしまって、授業運営が難しくなってしまいました。結局その時は、生徒一人一人のレベルにあった単元のゴールや、一つの課を内容を習得することを目標に、教科書、または聞き取り教材、私が作ったビデオ、オンラインのツールなどの中から生徒に勉強する方法を選択してもらい、自分で勉強を進めてもらいました。そして生徒はその課や単元が終わったら教師に言って確認のためのチェックをするという進め方です。いわば公文(かな?)のような方法です。その時の試行錯誤はここに書いてあります。

教師を授業中の一つのツールと考えるのありじゃない?

オンラインツールや教科書、ビデオなど、いろいろな選択肢を生徒に提示している時、不意に思いついて加えたものがあります。「先生の授業を受ける」という選択肢です。様々な自習のための選択肢の中に「先生の授業を受ける」というのも入れてもいいというアイディアは、ふと思いついた私自身も新鮮でした。そして、実際に新しい方法でクラスを管理し始めてから、もう一つのことに気がつきました。
この『教師』と言うツールって便利だなと言うことです。

教師を一つのツールとして考えれば、トランプで言えばジョーカー的な使い方ができます。授業はもちろんのこと、困っていることや質問などに対する個別のアドバイス、面接などによる学生のケアなどなど、場合によっては練習の相手にもなってあげることができます。それにテストの予行練習して、その上達具合や進度を測ってあげることもできます。授業と全く関係ないことで騒いでいる生徒の後ろにそっと立って、するべきことをするように促すこともできます。(実はそう思って近づいてみたら、日本語の学習と関係あることをしていて、そっと移動したこともあります。)先生という「ドーグ」は、授業中に受動的ではなくて能動的に生徒を観察し、より良いと思われる方法で生徒に対してアプローチすることができます。それってすごいことだと思いませんか。(1)

教師を授業中、ツールとして利用するためには

でも教師を1つの「ドーグ」として利用するためにはある条件が必要です。それは生徒たちがある程度自分で目標を認識し自律的に学ぶことができる状況を作り、教師が黒板の前に張り付かなくてもいい環境が必要です。(2)そしてその環境を作り出すにはICTの力がどうしても必要になってくるのではないかと考えています。前回もあげましたが、生徒にはいろんなタイプがいますが、ICTを利用しない場合、教材として提示する教材の種類が限定されてしまって、なかなか自律的な学びにたどり着けない生徒が出てくる可能性があるとおもうのです。

未だ授業に欠かせない、一番いい「ドーグ」はICTではなく教師であると私は思います。でも、だからこそ、授業中の教師の役目は黒板の前で話すだけと決めつけてしまっては、もったいないと思いませんか。

(1)もちろん授業時間外にそれらのケアをしてあげられればいいのですが、私はそれでよくても、学校にいる時間は生徒の方がよっぽど忙しいんですよね。特に台湾の中高生は授業が終わると、ささっとスクールバスに乗って帰りますし。
(2)それから教師の勇気も必要かも

ICT 振り返り
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